――ふっふっふっ。此の宇宙が夢見てゐるといふのは、此の宇宙誕生以前への原点回帰といふ夢の事かね? ぶはっはっはっはっ。
――しかし、《存在》は《存在》する以前への、例へば胎内回帰がそれに相当すると思ふがその誕生以前へ回帰したいといふ願望は避けやうがない。つまり、《存在》は「先験的」に《存在》以前への回帰、若しくは《存在》以前に或る種の郷愁を抱く哀れな《もの》さ。
――そして、《存在》は《存在》以降、つまり、《死》へも「先験的」に郷愁を抱く《もの》に違ひない。
――つまり、《存在》はそれが《特異点》として此の世に《存在》する事を強ひられ、へっ、そしてパスカル曰く、無と無限のbetween、つまり、中間者としてしか《存在》出来ぬ故に、《存在》が《パスカルの深淵》を不図垣間見、そしてその刹那、《存在》以前の過去世と《存在》の《死》以降の未来世、つまり、去来現をその《パスカルの深淵》に見出さずば、へっ、此の世に《存在》すら出来ぬ《存在》が「先験的」に抱へ込んだ矛盾! さて、この矛盾を如何とす?
――ふむ。これは愚問だが、今お前が言った事は、そもそも矛盾かね? つまり、absurdといふ事かね?
――では、何だと言ふのかね?
――必然さ。
――必然?
――さう、必然さ。《存在》が不意に出会ってしまった《パスカルの深淵》は《存在》が此の世に《存在》する以上、必然であり、その事はそして《存在》が《特異点》でもある事を必然的に暗示し、また、さうだからこそ、《存在》は《存在》誕生以前と《存在》の《死》以降に郷愁を抱くのさ。
――さう言ふお前は、其の郷愁のやり場のない底無しの無力感は解かってゐるのかね?
――ふっ、それが《現在》といふ《もの》だらう。そして、俺もまた此の世に《存在》してゐるのだぜ。
――さうすると《存在》は《存在》誕生以前と《存在》の《死》以降に四肢を両側から引っ張られ引き裂かれる寸前の状態にあるといふ事になると思ふが、お前は既にさう悟ってゐるのかね?
――ああ。もしかすると《存在》は既に誕生以前と死後の世に引き裂かれゐるかもしれず、例へば仮にさうだとすれば、其の引き裂かれた状態でありながら《存在》といふ様態に辛うじてあるのは、つまり、《存在》は《特異点》故であるからこそ《存在》は《存在》可能だとは思はぬか?
――それは、つまり、《存在》は《特異点》でなければそもそも《存在》などせぬと?
――ああ。そして、《特異点》たる《存在》は、諸行無常なる移ろひ行く此の世の時空間にほんの一寸、つまり、高高百年ぐらゐ《存在》する事を許された時空間に発生した時空のカルマン渦の如き《もの》に違ひなく、例へば流体力学に当て嵌めて話してみると、ナヴィエ‐ストークス方程式を持ち出して、例えば(ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/ナビエ-ストークス方程式より)非圧縮性流れ(
)の場合、ナビエ-ストークス方程式は
と簡単化される。ここで
は動粘性係数である。各項はそれぞれ、
- 左辺 - 第1項 : 時間[微分]項、第2項 : 移流項(対流項)
- 右辺 - 第1項 : 圧力項、第2項 : 粘性項(拡散項)、第3項 : 外力項
と呼ばれる。外力項には、状況によって、重力をはじめ浮力・表面張力・電磁気力などが該当する。
上記の、非圧縮性流れに対するナビエ-ストークス方程式は、未知数として圧力
と流速
を含んでいる。したがって未知数決定に必要な方程式の数が足りない。そこで、質量保存則から導かれる連続の式(非圧縮性流れについては次の形)
と連立することによって、原理的には解くことが可能である。もし一般解が求まれば、流体の挙動を完全に知る事ができることになる。しかし、未だ一般解は見つかっておらず、そもそも解の存在性といった面で謎が残り、物理学と数学の懸案事項の一つとなっている(ミレニアム懸賞問題)[疑問点 ]。したがって特殊な条件の問題を除いて、一般には次に示すように数値計算によって近似的に解かれる。
(以下http://ssrs.dpri.kyoto-u.ac.jp/~nakamichi/exercise/presentation.pdfを参照してください。)
そして、
といふやうなコンピュータ・シミュレーション用にナヴィエ‐ストークス方程式を近似して、実際、カルマン渦をもまた近似的に再現することが可能だが、しかし、ナヴィエ・ストークス方程式の解は実際のところ、いまだ見つかってをらず、また、見つかる保証も無いけれども、一方で自然をコンピュータ上とはいへ疑似的に、そして、かなり正確に再現出来るまでに、この《存在》の一形態たる「現存在」の《知》は到達はしてゐるのだ。尤も、自然をコンピュータなどの科学技術を駆使してかなりの精度で再現するのは別に何の問題も無く、而もそれが精密を極めてゐれば尚更の事、例へばナヴィエ‐ストークス方程式の如く自然の現象に「美しい」数式を見つけ出すのは、まあ、いいとしてもだ、それでは何故に自然は斯様に振舞ふのかの論理的な証明はと言へば未だ証明出来ず仕舞ひだ。現時点では全て、公理や公準や定理などと呼んで済ませちまってゐるに過ぎぬ。
――へっ、つまり、自然は、此の世は、此の宇宙は、「《神》のみぞ知る!」といふ事以上の事は現代科学をもってしても言へぬといふ事かね?
――唯、《存在》が自棄のやんぱちで言へる事は、此の世は、へっ、《存在》が《特異点》故にかどうかは解からぬが、或る秩序が厳然と《存在》してゐるのはどうやら確からしいといふ事さ。
――確からしい? 確かだと、自然には「美しき」秩序があると何故に断言出来ぬのだ!
――へっ、だって、此の世の森羅万象に《神》も加へてもいいが、未だどんな《存在》も此の宇宙を自然に忠実に再現、否、創造出来ぬからさ。
――しかし、《神》はこの憎憎しき、ちぇっ、《吾》が生存する為には平気で《他》を殺して喰らふ《吾》を《存在》させる此の悪意に、否、もしかしたならばそれは慈悲といふのかもしれぬが、つまり、約めて言へば《神》なる《存在》が此の宇宙の誕生に関はってゐるのと違ふかね?
――さあ、それは解からぬ。
――解からぬ?
――ああ、今もってそれは不明さ。《神》の問題は何時の世でも必ずAporia(アポリア)として持ち出されるからな、へっ。
(七十三の篇終はり)
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